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松戸の老舗特集

丼で食べる至福。■天丼 関宿屋【1】

丼物の美味さは、世界に誇る 日本が生んだ食文化のひとつである。


(どんぶり)で食べる至福。


…天丼は“粋”や“品”を感じさせることはありません。
でもお腹の空いたときには、なぜか胃袋をきゅっとさせるものがあります。
ふたを取り “丼”を手に持って、濃い目の汁に浸したアツアツのえび アナゴを
思いっきり “かっ込んで” 頂きたいものです。…


老舗・関宿屋が、自ら語っているものは、知るかぎり、ウェブでは これだけである。

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箸を使って食べる日本の作法は、手のひらに収まるほどの飯椀を持ち、おかずを口に運ぶ。
その後に、「つぶが立って光る 炊きたてのご飯」を口に運ぶ。
おかずとご飯は、口のなかでしか交わることがない。これが、私たち日本の作法である。

日本人は、作法・マナーを大切にする。なにしろ、…
世界が覇を競うフットボールの大会で、先制しながらも逆転され、なすすべもなく敗退した試合後、
ゴミを拾い会場を片づけて、世界に賞讃を浴びるほど、作法・マナーを優先する民族…である。

では、作法・マナーを大切にして厳しく律していく日本人が、
なぜ作法に反する(どんぶり)」を好み、食べ続けてきたのだろうか。

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(どんぶり)という器。 日本の丼のように、大きくて深い器にご飯を盛り、おかずをのせて食べる文化は、
アジアの他国には ほとんどみつけることはできない。
米は、アジアの多くの国で食べられるが、箸を使わない国では ご飯は飯椀ではなく、によそう。


」という大きく深い器は、江戸期に生まれた。
丼は、中国語で「蓋飯」(カイファン)<飯におかずで蓋をする>の意味。容器は皿か浅い鉢である。
そばとうどんを一緒に商った「倹貪屋<または慳貪屋>(けんどん-や)」で使われる鉢が、
「倹貪振り鉢(けんどんぶり-ばち)」といい、この名が変化して「丼鉢どんぶり-ばち」になったという。
急いでいる時、忙しい時にすばやく食べるために便利で、これが日本料理一形式となってゆく。

当時の江戸は、人口100万人を超える世界最大の都市である。
江戸の人口は、18世紀に入ると100万を超え、18世紀後半にはさらに増えていく。
この頃、ロンドン60万パリ70万ニューヨークはわずかに1万4千の小さな町だった。

武家中心の町・江戸は、武家屋敷が6割、寺社が2割を占め、町家の面積2割にすぎなかった。
この2割の土地のなかに、町人(武士とほぼ同数の)50万人が、火事を怖れながらひしめき、
職人、奉公人、日雇い、遊芸人、…で稼ぎ、さらに諸国から都市の大消費を目当てに集まってくる。

都市経済の発達とともに、丼物は江戸町人のファーストフード(fast food)として登場し、
町人文化が花開く 元禄年間(1968-1704年)に庶民の食事1日2食から3食になり、
江戸後期には、醤油が庶民の食生活に定着し、蕎麦・天ぷら・寿司・鰻の屋台の食文化が栄えた。

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時間をかからず気取らない食事として、気が短くて飾らない職人たちに愛された丼物
まして「ご飯とおかずを別々に食べる」という作法の原則にさからった日本の丼を、
私たち日本人は、なぜ これほど 好み、食べ続け、愛し続けてきたのだろうか。

丼のふたを取って、香りを味わうと 食欲はさらに高まる。
たきたてのご飯おかず丼のなかで交わる。 おかずを誘う 丼つゆが滲みて薫るご飯
つぶだち光る白飯のところも残っていて、これも楽しめる。
(作法に反して)口に入れる前から交わっていたおかずとご飯が、
口のなかで さらに混然とした溶けあい、陶然とした心地にすら なってゆく。

江戸の町人に愛され、磨かれてきた丼物は、
300年を超える時間のなかで、日本料理の一形式をつくりあげた。

丼物の美味さは、日本が生んだ食文化のひとつ、と言ってもいい。
日本には、そして私たち日本人には、丼で食べる至福がある。

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天丼 関宿屋
[住所] 松戸市本町7-2 [アクセス] JR・新京成線 松戸駅西口より徒歩5分
[電話番号] 047-361-0234 [営業時間] [月~金] 11:30~14:30 17:00~21:00 
[土・日] 11:30~14:30 17:00~20:00 

明治元年頃、流山で「そばや」を営業していた関宿屋は、松戸に移転、松戸神社辺りに開業。
明治38年、現住所にそば、天丼店として新装開店。
昭和41年、地区の区画整理で店舗を新装し、
昭和43年、そばは昔の建物を移設し、現在の「そば処 関やど」となった…という。